大分合同新聞による2019年の日本ツアーのインタビュー記事
Review
Stereophile Magazine(2015年5月号)掲載のアルバム「コンセプション」レビュー
今日のジャズは国際化、多様化し、創造力であふれかえっている。情熱を持った若い世代が、芸術の形を拡大させ続けているのだ。
村上あいもその1人だ。しかし、他の多くの若い世代の人たちと違い、彼女は伝統的なものの中で演奏を行う。
彼女は日本で生まれたが、1998年からNYに住んでいる。
彼女が頭の中で聞いている音楽はビバップ(ジャズの伝統的な形の種類)だが、それの最先端のバージョンである。
村上あいは、前世紀半ばのタッド・ダメロンの「オン・ア・ミスティ・ナイト」、ジョージ・シアリングの「コンセプション」などの、崇拝に値する作品を熱狂的な不遜をもって演奏する。
彼女の解釈はビバップについて2つのことを再確認させる。
ビバップの複雑なエネルギーは、喜びを伝え合うという範囲において大変ユニークであるということと、ビバップという形式が個人の表現に対して無尽蔵に開かれているということだ。
アルトサックス奏者のゼイド・ナッサーは、どの曲においても輝くようなソロを展開している。レイ・ブラウンの「レイズ・アイデア」やランディ・ウェストンの「ソーサー・アイズ」では炎のように猛り狂い、「スイート・ロレイン」や、「オールド・デビル・ムーン」といった曲では趣のある演奏をし、全力を尽くしてタフな愛を解明している。彼は素晴らしく確固たる態度で、常に無秩序と親しみ、そして選択する。
ピアノのタード・ハマーは、また異なる。彼は自分の言語としてビバップを朗々たる流暢さと冷静さをもって語る。
このプロジェクトはドラマーが発案し、リーダーとして作られたものだが、無駄なドラムソロなどは存在しない。
村上あいの演奏は、すがすがしくそれでいて選び抜かれたもので、その音は、常に正しい場所に存在し、力を与えている。彼女こそがこのアルバム、「コンセプション」を信じられないほどスイングさせているのだ。
彼女のデビューレコーディングは、即座に心をつかまれると同時に長く続く深みがある。この2つが出会うことは極めて稀だ。
トーマス・コンラッド / Stereophile Magazine
LYRICALLY ALIVE: AI MURAKAMI QUARTET: “CONCEPTION”(2015年3月27日)
今の状況として、一般メディアは、ジャズはもう死んでいると伝えることにも飽き飽きしている。一部の匿名のブロガー達は、(今のジャズは)「最悪だ」と痛烈に皮肉を言う。また別のところでは、ジャズは地球上で一番人気のない音楽だと報じられている。私は、そのような戯言は気にしたくないと感じている。美しい演奏とたくさんの新しいアルバムが、こうした軽蔑的な言葉が真実ではないことを証明しているからだ。
今日は、ドラマーの村上あいの「コンセプション」(ガットストリングレコード)に出会った。
ON A MISTY NIGHT / CONCEPTION / SWEET LORRAINE / OLD DEVIL MOON / WHEN JOHNNY COMES MARCHING HOME / SAUCER EYES / WE'LL BE TOGETHER AGAIN / RAY'S IDEAという8曲の、叙情的にスイングする演奏を通して、彼女はアルトサックスのゼイド・ナッサー、ピアノのタード・ハマー、ベースのハッサン・シャコーを率いている。
彼女のことはこれまで知らなかったが、彼女の音楽を耳にする機会があり、大変うれしく思った。(ここで言っておかなくてはいけないのは、私のアパートが晩年のエド・ビーチ(60~70年代に大人気だったジャズのラジオショーをしていたホスト)のように、壁いっぱいCD、何箱ものカセット、いまやおしゃれにビニールなどと呼ばれるもののコレクションなどの音楽で埋め尽くされているということだ。だから私は、今持っているものの4分の1さえも聴かないで死ぬことになるだろうという思いから、めったにCDを受け取ったりしないのだ。私にとってはCDを熱狂的に欲しがるということ自体が、その音楽に対する熱狂的な支持を意味する。)
まず、このバンドはドラマーが率いるカルテットではあるが、村上あいは、自分のソロを展開することよりも、グループを推進させることのほうに興味を持っているドラマーだ。彼女はソーサー・アイズとレイズ・アイデアで、それぞれ1分強の長いソロをとるが、アクセント、ロール、リムショットなど、どれをとってもメロディックで味わい深く、1つのモチーフが自然に次のフレーズにビルドされていくところも作曲的観点からみても深い。このセッションにおいて彼女は一貫してカルテットのためにスイングのタペストリーを創造し、バンドの快適のために演奏している。彼女はコンテクストが変化するたびに静かにドラムセットの上を動き、彼女の演奏は繊細な彩りに満ち溢れ、彼女がいかに深く、愛おしく、メンバーの音を聴いているかが表れている。
ピアニスト、ハマー氏はこの時代の最も叙情的なミュージシャンの1人だ。彼の演奏は確固たるものでありながら、同時に優雅である。
シャコー氏は豊かで深いトーンを持ったビートを刻むメロディックなミュージシャンだ。アルトサックスのナッサー氏は、素晴らしい叙情的な賛歌を次々と軽やかに繰り出す、柑橘類のようなトーンを持つチャーリー・パーカー以来の歌い手である。
このレコーディングは、美しい意味で「古風」だ。私はこれを、大いなる賛辞として言っているのだ。これには、彼らの曲に対する敬意が、スインギングな形で表れている。メロディーは解体されることなく、大事に扱われている。結果、この世紀に演奏されるメインストリームジャズを満足させるものとなっている。この録音は、過去の素晴らしい演奏や聞いたことのあるソロを、よりよい忠実性をもって再生産しようとしているのではなく、未発表の素敵で名高いセッションとしてコレクターたちがお店に走るような作品になっている。
私は村上あい氏に彼女の考えを聞いてみた。彼女の考えは率直で謙虚なものだった。
「まず、私はバンドメンバー全員が大好きで、素晴らしいミュージシャンだと思っています。それぞれ独自の音を持ち、フレージングは非常に音楽的です。彼らとは今までに別のバンドでも演奏し、私はいつも楽しんでいました。しかしこのメンバーで一番最初に演奏をした時の経験は、それまでと大変異なるものでした。あまりにバンドがスイングするので、私は演奏しながら喜びにあふれていました。このバンドで演奏する機会があるたびに、その喜びはさらに強まっていったのです。そして私は、このバンドで録音をするべきだと真剣に考えるようになりました。私は、もっとたくさんの人々に私たちの音楽を聴いてもらって、私が感じているように感じてもらいたいと思ったのです。
この録音において最も特筆すべき曲は、コンセプションだと思います。
だから、私はこのアルバムをコンセプションという名前にしたのです。この曲はずっと私の大好きな曲でしたが、最近は演奏されているのをあまり聞きません。ですから、私は自分の録音でぜひトライしたいと考えたのです。タフな曲だと思いますが、録音には満足しています。ドラムソロのトレーディングなども、少々複雑でしたが、うまくやれたと思います。曲の最後も気に入っています。
録音においての選曲は、普段、私がライブをする時と同じように選びました。アルバムを、1つのよいセットのようにしたかったので、さまざまなテンポと異なる雰囲気の曲、スタンダードとビバップを組み合わせ、演奏する私たち自身が楽しめるように、そして、聴いてくれる人も楽しめるようにと考えました。録音の結果については、かなり満足しています。
また、私はバンドメンバー全員をフィーチャーできる録音にしたいと考え、タードとハッサンには、自分のフィーチャーする曲を選んでもらいました。タードは、ホエン・ジョニー・カムズ・マーチング・ホームを選び、ハッサンは、ウィル・ビー・トゥギャザー・アゲインを選びました。タードもハッサンも、アルバム全体において素晴らしい演奏をしてくれたと思いますが、自分で選んだ曲においてはことさら素晴らしかったように思います。」
「コンセプション」という単語には、「アイデア」、そして「生み出す」という2つの意味がある。ここに、深く満足を与えてくれる叙情的な音楽があり、洗練されたスインギングな即興演奏が体現されている。
これが、メディアがとうの昔に終わったという、芳醇な音楽だ。なんて間違っているのだろう。
マイケル・スタインマン / JAZZ LIVES
今の状況として、一般メディアは、ジャズはもう死んでいると伝えることにも飽き飽きしている。一部の匿名のブロガー達は、(今のジャズは)「最悪だ」と痛烈に皮肉を言う。また別のところでは、ジャズは地球上で一番人気のない音楽だと報じられている。私は、そのような戯言は気にしたくないと感じている。美しい演奏とたくさんの新しいアルバムが、こうした軽蔑的な言葉が真実ではないことを証明しているからだ。
今日は、ドラマーの村上あいの「コンセプション」(ガットストリングレコード)に出会った。
ON A MISTY NIGHT / CONCEPTION / SWEET LORRAINE / OLD DEVIL MOON / WHEN JOHNNY COMES MARCHING HOME / SAUCER EYES / WE'LL BE TOGETHER AGAIN / RAY'S IDEAという8曲の、叙情的にスイングする演奏を通して、彼女はアルトサックスのゼイド・ナッサー、ピアノのタード・ハマー、ベースのハッサン・シャコーを率いている。
彼女のことはこれまで知らなかったが、彼女の音楽を耳にする機会があり、大変うれしく思った。(ここで言っておかなくてはいけないのは、私のアパートが晩年のエド・ビーチ(60~70年代に大人気だったジャズのラジオショーをしていたホスト)のように、壁いっぱいCD、何箱ものカセット、いまやおしゃれにビニールなどと呼ばれるもののコレクションなどの音楽で埋め尽くされているということだ。だから私は、今持っているものの4分の1さえも聴かないで死ぬことになるだろうという思いから、めったにCDを受け取ったりしないのだ。私にとってはCDを熱狂的に欲しがるということ自体が、その音楽に対する熱狂的な支持を意味する。)
まず、このバンドはドラマーが率いるカルテットではあるが、村上あいは、自分のソロを展開することよりも、グループを推進させることのほうに興味を持っているドラマーだ。彼女はソーサー・アイズとレイズ・アイデアで、それぞれ1分強の長いソロをとるが、アクセント、ロール、リムショットなど、どれをとってもメロディックで味わい深く、1つのモチーフが自然に次のフレーズにビルドされていくところも作曲的観点からみても深い。このセッションにおいて彼女は一貫してカルテットのためにスイングのタペストリーを創造し、バンドの快適のために演奏している。彼女はコンテクストが変化するたびに静かにドラムセットの上を動き、彼女の演奏は繊細な彩りに満ち溢れ、彼女がいかに深く、愛おしく、メンバーの音を聴いているかが表れている。
ピアニスト、ハマー氏はこの時代の最も叙情的なミュージシャンの1人だ。彼の演奏は確固たるものでありながら、同時に優雅である。
シャコー氏は豊かで深いトーンを持ったビートを刻むメロディックなミュージシャンだ。アルトサックスのナッサー氏は、素晴らしい叙情的な賛歌を次々と軽やかに繰り出す、柑橘類のようなトーンを持つチャーリー・パーカー以来の歌い手である。
このレコーディングは、美しい意味で「古風」だ。私はこれを、大いなる賛辞として言っているのだ。これには、彼らの曲に対する敬意が、スインギングな形で表れている。メロディーは解体されることなく、大事に扱われている。結果、この世紀に演奏されるメインストリームジャズを満足させるものとなっている。この録音は、過去の素晴らしい演奏や聞いたことのあるソロを、よりよい忠実性をもって再生産しようとしているのではなく、未発表の素敵で名高いセッションとしてコレクターたちがお店に走るような作品になっている。
私は村上あい氏に彼女の考えを聞いてみた。彼女の考えは率直で謙虚なものだった。
「まず、私はバンドメンバー全員が大好きで、素晴らしいミュージシャンだと思っています。それぞれ独自の音を持ち、フレージングは非常に音楽的です。彼らとは今までに別のバンドでも演奏し、私はいつも楽しんでいました。しかしこのメンバーで一番最初に演奏をした時の経験は、それまでと大変異なるものでした。あまりにバンドがスイングするので、私は演奏しながら喜びにあふれていました。このバンドで演奏する機会があるたびに、その喜びはさらに強まっていったのです。そして私は、このバンドで録音をするべきだと真剣に考えるようになりました。私は、もっとたくさんの人々に私たちの音楽を聴いてもらって、私が感じているように感じてもらいたいと思ったのです。
この録音において最も特筆すべき曲は、コンセプションだと思います。
だから、私はこのアルバムをコンセプションという名前にしたのです。この曲はずっと私の大好きな曲でしたが、最近は演奏されているのをあまり聞きません。ですから、私は自分の録音でぜひトライしたいと考えたのです。タフな曲だと思いますが、録音には満足しています。ドラムソロのトレーディングなども、少々複雑でしたが、うまくやれたと思います。曲の最後も気に入っています。
録音においての選曲は、普段、私がライブをする時と同じように選びました。アルバムを、1つのよいセットのようにしたかったので、さまざまなテンポと異なる雰囲気の曲、スタンダードとビバップを組み合わせ、演奏する私たち自身が楽しめるように、そして、聴いてくれる人も楽しめるようにと考えました。録音の結果については、かなり満足しています。
また、私はバンドメンバー全員をフィーチャーできる録音にしたいと考え、タードとハッサンには、自分のフィーチャーする曲を選んでもらいました。タードは、ホエン・ジョニー・カムズ・マーチング・ホームを選び、ハッサンは、ウィル・ビー・トゥギャザー・アゲインを選びました。タードもハッサンも、アルバム全体において素晴らしい演奏をしてくれたと思いますが、自分で選んだ曲においてはことさら素晴らしかったように思います。」
「コンセプション」という単語には、「アイデア」、そして「生み出す」という2つの意味がある。ここに、深く満足を与えてくれる叙情的な音楽があり、洗練されたスインギングな即興演奏が体現されている。
これが、メディアがとうの昔に終わったという、芳醇な音楽だ。なんて間違っているのだろう。
マイケル・スタインマン / JAZZ LIVES